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グローバルのヒント

グローバル・コネクター

2024年9月25日

第77回 「みんなで決めたらやり遂げる」甲斐ラースさん

さまざまな分野で活躍する方にお話を伺うインタビュー「グローバル・コネクター®」。今回のゲストは大手家電メーカー「デロンギ・ジャパン」の代表取締役社長を務める甲斐ラースさんです。

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木暮 幼少期をデンマークで過ごされた後、日本でお育ちになったそうですね。

 

甲斐 生まれは日本なのですが、デンマーク人と再婚した母と物心がつく前に渡欧して、15歳のときに日本に戻ってきました。帰国後はインターナショナルスクールに編入し、日本の大学に進みました。進学先の候補には米国のバークリー音楽大学もあって、すごく迷いました。昔からクラシックギターが好きで、誰にも負けない技術を身につけようと1日8時間も練習するほど入れ込み、当時は音楽の道を真剣に考えていたんです。羽振りが良い頃は、ジャズバーで30分ほど演奏すると5千円ももらえて「音楽って最高だ」と思ったこともありました。ただ、音楽で食べていくほどの自信は持てず、自分の限界も感じていました。とはいうものの、音楽の代わりにしたいものもなく、とりあえず日本の大学に行けば何か見つかるだろうと。何も考えてない時期だったんですね。大学では同じような境遇や悩みを共感できる「帰国子女」も多く、いろんなネットワークや知り合いも増えました。結果論ですが、当時の選択は正しかったと思います。大学で妻とも出会えましたし。

 

木暮 就職はどういった経緯で?

 

甲斐 周りが就職先を決める一方、自分は人生で何をすればいいか分からない。ようやく卒業間際に父の紹介で、日本へ駐在する方々に対する査証(ビザ)の手続きといった入国事務を手掛ける会社に入りました。新人として書類の配達をしていると、届け先で「君はラースというんだね。デンマーク語は話せる?」と声を掛けられました。その人はデンマーク人で名前に馴染みがあったようです。日本語も英語も交えた3カ国語で会話していると「そこで待っていて」と言います。しばらくすると戻ってきて「いま電話しておいたから、僕の知り合いのところで面接をしてきてくれる?」と別の会社を紹介されました。数日後にその会社の面接に行ったら、そのまま採用されたんです。

 

木暮 普通に就職活動をして日本企業に入っていたら、実現していませんね。 

 

甲斐 さらにラッキーだったのは、その会社は今でこそデンマークのヘルスケア業界で十指に入るほどの大企業ですが、当時は日本に進出したばかり。社員は少なく、新人でも営業やマーケティングに携われたことです。入社後は通訳のほか、日本人の考え方やボディーランゲージの意味などもデンマーク出身の社員に伝えていました。例えば、来日して間もないデンマーク人の駐在員が「商談した感触は良かったんだけど、なぜか契約に至らないんだ」と不思議がっている。相手の日本人が商談でどんな反応をしていたかを聞いてみると「持ち帰って検討する、と答えてくれた」と言うんです。日本人が「検討します」と言ったら、それは基本的には「NO」ですよね。そうした両国の文化的な違いを翻訳して、自分なりにアドバイスしていたのが社内で重宝がられたようです。その後もよく会議に呼ばれたり、いろんなことをさせてもらえたりしました。

 

木暮 重要なアドバイスを的確にされていて皆さんも喜ばれたでしょうね。コミュニケーションを翻訳する、というのは、言外のメッセージやニュアンスを感じられないと難しい。もともと繊細な性格だったのですか。

 

甲斐 母がデンマーク人と結婚していたので家庭の中も、そうしていたんですよ。母方の家族や父方の家族が、それぞれ相手方と話をするときとも似ていた。よくある状況というか、会社でも同じことが起こっていた感じです。

 

木暮 「ラース」という名前でその後もチャンスが広がったとか。

 

甲斐 すでに社内にはラースが2人おり、入社後はオフィスの机を同じ名前3人で固められたんです。社長は声を掛けたラース全員が一斉に振り向くのを面白がって「やあ、ラース」と呼ぶのを毎朝の日課にしていました。そんな中、幸運だったのは隣のラース先輩が事業戦略分野のベテランで、ビジネスプランや中長期戦略の策定を一緒に手伝わせてもらえたことです。日本人上司との意見調整もやりながら、裏方としてマネジメントの勉強ができました。先輩が別のデンマーク企業の日本法人トップとして転身するときも一緒に呼んでもらえて、拠点立ち上げの手続きをサポートしました。先輩がそこで教えてくれた「失敗を認める」「透明性を高く保つ」「マネジメントとは人を介して物事を成すことである」との言葉はいまだにキャリアの指標になっています。

 

木暮 20代半ばでそうした「金言」に触れられたのは大きいですね。

 

甲斐 日本進出が成功した後は、シンガポールでアフターセールスのアジア担当を任されました。そこで香港やマレーシア、豪州、中国など、いろんな背景を持つ方々と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしながら仕事ができたのが、次の大きな経験でした。同じ概要を伝えても職場の同僚から出てくる報告がそれぞれ違ったりして、カルチャーショックを感じたことを覚えています。日本人とデンマーク人はどちらも遠慮がちだったり丁寧だったりと、カルチャーが似ていると思ったのもこの頃です。

 

帰国後に学んだ教訓

木暮 そうした環境では何かを軸にして対応するのでしょうか。共通する価値観や基準を決めるのか、それとも、相手に合わせるのでしょうか。

 

甲斐 多国籍の環境での経験を生かし、相手に合わせて対応します。世界中で通用するテンプレートのようなものはありません。現地で気を付けるべきことをそれぞれリストアップするしかない。それでもアウトプットは違います。直接交渉して初めて理解できる地域がある一方で、電話1本でも緻密なやり取りができる地域もあります。これは「当たって砕けろ」の精神で、じかに触れながらやるしかない、というのが実感です。

 

木暮 同感です。普遍的なものがあれば便利かもしれないですが、シチュエーションも違うし、組織内ですらカルチャーが異なることもあります。すべてに当てはまるやり方ではなく、柔軟性というか「引き出しの多さ」みたいなのがすごく重要なんだろうなと。

 

甲斐 この部分だけはAI(人工知能)ではできないと思っています。この力は自分のキャリアを凝縮した財産の1つですし、会社でも存分に使っていきたいなと思っています。相手に合わせた柔軟な対応はしますが、みんなで何かをやると決めたら、それを成し遂げるのはもう「絶対」ですね。もう1つ大事なのは、気持ちよくやること。文化的な体験が多いと、気持ちよくできる可能性が上がると思っています。実はいろいろと失敗もしてきているんです。新天地なのに従来の方法で臨んで「何を言ってるの」と理解されなかったこともありました。そうした経験を重ねるうちに、どうすれば相手に気持ちよく受け入れてもらえるか、が分かる場面が増えてきました。

 

木暮 当時は何が上手くいかなかったんでしょうか。

 

甲斐 シンガポールから30歳そこそこで日本に戻ってきて社長として着任する。海外で多くを学び「グローバル・シティズン(地球市民)としての知見を日本に持ち帰ってきたんだ」と有頂天になっていたんですね。俺は何でもできるんだ、という全能感。気分が高揚するいわば「社長ハイ」です。例えば、自分のアイデアが詰まった改革案は完璧で、社員も「素晴らしいですね。やりましょう」と賛同してくれる。ところが、社内で導入してみると大失敗、という経験を何度もしました。社長に就任してすぐに大胆な組織改編を打ち出したことがあったのですが、3カ月ぐらいで業績がどんどん下がった。すると周りから「伝えたつもりだったんですが、ラースさんの案では上手くいかないですよね」とぽろぽろと本音が出てくる。当時は、もっと早く言ってよ、と思いましたが、社員の気持ちを聞き出す力が弱かったんですね。そこで学んだのは、日本人はトップがお墨付きを与えたものに異議を唱えないことが多い、ということです。そうした失敗を重ねていると、部下の気持ちを察したり、行間を読んだりできる局面が増えてくるようで「社長の戦闘力が上がっている」と評価してくれる社員の声も聞けました。

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自社で手掛ける製品を紹介する甲斐さん

 

木暮 新人社長を自認されていますが、今後の目標は?

 

甲斐 「逆さま組織」というのが大好きなんです。1番偉いのは物事を成し遂げる社員たち。それを支えなきゃいけないのが首脳陣で、それを最終的に支えるのが社長。社員が安心安全な環境で働けるようにしていくのが大事だと思っています。私が方針を決めてしまって、上手くいかない場合も多かったんです。周りが私に合わせてしまうわけなんです。上司に言われたからやっている、だけでは当事者意識が無いですよね。私の喜ぶ顔を思い浮かべながら懸命に頑張ってくれるのかもしれませんが、それでは何も無い。オイルヒーター部門では長年実績のある当社ですが、コーヒーメーカー事業、特に「全自動コーヒーマシン」はまだまだ伸びしろがあると確信しています。社員には市場シェアの具体的な目標を伝えたところです。デロンギの全自動コーヒーマシンが日本中の家庭にある、という姿を目指してみんなで一緒にやっていきたいですね。(おわり) 

 

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