グローバルのヒント
グローバル・コネクター
第19回「組織はファミリー」中沢宏行さん
今回のゲストは、エンジニアから転身してフィリピンで語学学校の経営などを手掛ける実業家の中沢宏行さんです。
木暮 キャリアのスタートはエンジニア。
中沢 新卒で入った東芝に20年ほど勤めました。エンジニアとして入社したものの、同僚との技術的な話についていけないことが増えていきました。採用試験の筆記問題もなぜ合格できたか分からないぐらいでしたから。新卒だった80年代半ばは大卒なら誰でも就職できるような時代でしたね。
木暮 英語との関わりは?
中沢 もともと得意科目だったのですが、高校時代の英語教師とそりが合わず、勉強そのものを投げ出してしまいました。それからは下降線。大学の入試本番ではそれまでの模擬試験も含めた最低点を取ってしまいました。
木暮 入社後に目覚める。
中沢 最新情報や海外ファッションを紹介する雑誌の影響をまともに受けました。進学を機に上京した「田舎育ち」で、米国という別世界に強いあこがれを持ちました。新婚旅行まで海外渡航の経験がなく、成田空港では極度の緊張からトイレに行ってばかりで新妻もあきれていました。
木暮 仕事でも海外と接点が。
中沢 配置換えで営業寄りの業務が増えると海外が身近になりました。米国へは社内の教育制度を使って留学しました。費用は会社持ちです。その後、会社は辞めることにしたので、負担してもらった学費は返納する、と申し出たものの担当者には断られました。退職金の額を知った時は学費を返金できなくてよかったと思いましたね。
木暮 転職してフィリピン工場に。
中沢 転職先の倒産を経て入社した日本のメーカーがフィリピンに工場を構えていました。その会社の幹部から異業種である英語教育事業への立ち上げに誘われ、「最初で最後の起業のチャンスだ。乗るしかない」と。
木暮 ターゲットは日本人留学生。
中沢 安易でした。安さや日本から距離といった手軽さが注目された「フィリピン留学ブーム」に乗って開校したものの、できたのは普通の学校。生き残りを考えていくうちに、「学校っぽくない方が良いのでは」と発想を転換し、現地での体験やビジネス研修といった実践を重視する方針にしました。
木暮 掲げるスローガン「国境なきコミュニケーションの実践」と「英語学習の先へ」が素晴らしい。
中沢 米国駐在時代の社内インターンの経験が大きく影響しています。何かやらないと身につかないと実感していたからです。国籍や国境についても思うところがあります。地元の人を見下した態度をとる人がいますがカッコ悪い。日本の一流企業の出身者ですら現地のセミナーで「フィリピン人はすぐうそをつく。信じられない」と発言していたのは、気分が悪かったですね。
木暮 外国人に対して「使えない」や「気が利かない」とこぼしていても何も生まれない。
中沢 転職して入った外資系企業で挫折感を味わい、「今まで調子に乗っていた」と実感しました。「仕事ができない自分」に気付けて良かったと思います。
木暮 自分を見つめ直した。
中沢 能力や経歴も「自分は普通以下」と思えるほど謙虚になれました。国籍も学歴も関係ない、「みんな一緒だよね」と思うようになりました。
木暮 現地の人からの助けも多い。
中沢 事業に不可欠です。インターンシッププログラムでの学生の受け入れなど、地元の企業経営者にお願いしています。短期で留学に来る大学生グループの面倒を見るのも彼らからすればボランティアの意味合いが強いのです。
木暮 フィリピン人の仕事ぶりは?
中沢 時間の感覚に戸惑うことがありますが、まっとうに事業を展開されている方も多いですし、前向きで楽観的な印象もあります。思い通りに仕事が進まない時には励ましてくれるので、メンタルの面でも助けてもらっています。
木暮 現地採用が中心。
中沢 地元での会社説明会や人づてに集まった人が多いです。
木暮 コミュニケーションで違和感も。
中沢 学生から預かっていた宿泊費をスタッフに持ち逃げされた経験もしましたし、指示内容を十分に理解できないまま「イエス・サー(承知しました)」と答える人もいますが、その都度カバーしています。
木暮 スタッフとのやりとりで気を付けていることは?
中沢 皆の前で強く注意しないようにしています。基本的に上下関係のない「タメ(同じ)」という意識でやります。日本人がトップを務める企業としては珍しいかもしれません。校長と一般教員が対等に話せるようにしたので、現地の人も当初は違和感があったはずです。
木暮 教員との関係は?
中沢 組織としてファミリーのような「濃い」付き合い方が好きなため、そうした校風に合わなかった人もいました。あっさりした人間関係を好む人がいるのは当然です。お客さまもそうです。200人のうち1人でも濃い学校が好きな人がいればいい。一方で濃密な関係には線引きも必要です。男女関係などトラブルもありましたが、スタンスは変えたくなかった。ガチガチにルールで縛るのは嫌だったのです。
フィリピンの砂浜で笑顔を見せる中沢さん=本人提供
木暮 留学を経験した人の顔つきも変わる。
中沢 数週間の留学から数カ月の企業研修、1年程度のインターンシップなどさまざまなコースがあります。学校周辺にとどまらず現地の人と食事をするなど、積極的に外に出たりすることを勧めています。熊本県から来た学生が印象的です。フィリピンでの体験にカルチャーショックを受けたようで、「現地の人はどうしていつもニコニコしていられるのだろう」と驚いていました。帰国する際に「もう少しほかの世界も見てみたい」と言う人もいましたね。短期間だったこともあり、英語は聞き取れなかったものの、向学心が芽生えたようです。
木暮 運営には難しさも。
中沢 どこまでルールを緩められるかです。インターンシップに参加した日本の方からは「現地企業から体よく利用されているのでは」という指摘もされました。社会人経験が豊富な方々にはズバズバ言われました。
木暮 コロナ禍での学校経営。
中沢 拠点を置くスービックは日本での知名度は高くありませんが、本当に良いところです。「スービック観光親善大使」を自任している身としては、日本人に限らず、もっと人を呼び、国籍にこだわらないコミュニティを作りたいです。ここを挑戦ができる場所にし、その挑戦を応援する人が集う所にしたいですね。(おわり)
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