グローバルのヒント
グローバル・コネクター
第38回「自分で考える人に」野田純さん
今回のゲストは生命保険会社勤務を経てキャラクター雑貨の製造・販売会社を創業。現在はアミューズメントパークの企画・運営会社エイアンドビーホールディングス株式会社を経営する野田純さんです。
木暮 ご経歴の変遷が目まぐるしいですね。小さい頃は何になりたかったですか。
野田 今も大人になりたくない子どものように、何にでも興味があります。生まれ育った昔の成城は雑木林だらけで夏は昆虫の宝庫。小さい頃はアリの巣を何時間も眺めていられるような子でした。勉強はきらいでしたね。
木暮 就職は?
野田 父が当時では珍しい工場(プラント)の輸出業をしていて、学生の頃はその手伝いをしながら「将来は海外の仕事をするんだろうな」と思っていたのです。ところがオイルショックで父の会社が倒産してしまい、大学を辞めて知り合いの海運会社でお世話になりました。カニの冷凍運搬船の船員を運ぶ仕事を任され、北海道から富山まで車で連れて行ったこともありましたね。
木暮 沖縄の国際海洋博覧会の時も活躍されたとか。
野田 大阪万博で「新幹線うどん」が大当たりした話を聞いていました。海洋博が来ると聞いて「これはもうかりそうだ」と。来場客を当て込んで会場の近くにハンバーガーショップを出しました。ふたを開けてみたらお客さんはバスで会場までピストン輸送されてくるので、店に寄らなくて全くダメ。会場の従業員さんに軽食を出すスナックに業態を替えざるを得ませんでした。
木暮 残念でしたね。その後に生命保険会社へ。
野田 結婚が決まり「ちゃんとしてなきゃ」と思ったのです。安田生命では「セールスレディー」と呼ばれる女性販売員のサポートをしました。女性をまとめるのは大変です。特に年配女性をまとめるための話術が身に付きました。
木暮 分かります。そこで得た技術が役に立ちますよね。
野田 相手にどう伝えるかを考えないで、感情が先に出てしまう個性の強い人が多かった。それを元の「路線」に戻すのが大事です。
木暮 どう戻すのですか。
野田 質問攻めです。相手の言い分にうなずきながら「でも、これってこうだよね?」と聞いていくとだんだん戻ってきます。依頼した仕事を「今、やってます」とだけ報告する人には「数字で教えてくれる?誰と?」と尋ねないと伝わらない。部下から「やってます」とだけ聞いている上司は甘くなりますよ。
木暮 進ちょくが分からない経験はインドでもありました。いつも「ノープロブレムです」と答え続けていたメンバーが締め切り当日にいきなり「できません」と。仕事の可視化は重要ですね。
野田 言葉だけが飛び交う「空中戦」になるのは良くないですね。
木暮 その安田生命も去ります。
野田 このままいっても「サラリーマンで終わってしまう」という危機感がありました。東京郊外の市役所前にあった喫茶店を引き継いで始めたもののうまくいかず、彫金アクセサリーの仕事をしていた妹の会社で、デパートのショーウインドー用ステージの装置の制作を始めました。デザイン画を具現化する仕事で、そこがターニングポイントでした。必要なネジの個数をあらかじめ準備したり、熟練パートさんの配置を考えたり工夫して生産ラインを作りました。モノづくりは好きだったので苦になりませんでした。その会社はアクリル製の台座にイラストを封印した土産物を作っていました。シリコーンを利用した、より複雑で立体的な製品も手掛けるようになり、寿司のマグネットやプッシュピンがヒットしたのです。
木暮 お寿司の形にした理由は?
野田 日本のお土産が少ないという外国人旅行客の声を聞いていました。それに日本人は小さいものが好き。飛ぶように売れました。その後に設立した会社ではウルトラマンの画鋲やマグネットも。子どもが「となりのトトロ」の大ファンだった縁でスタジオジブリの作品も扱うようになり、今もジブリ関連の商品開発をしています。
木暮 生保レディーの相談相手から、好きなことへ夢が広がっていきますね。
野田 国内で生産していましたが「このままじゃだめだ」と中国に向かいます。工場の誘致に乗り出していた江蘇省無錫市の担当者から「日本のメーカーが見にきてから2カ月以上も音沙汰がない。先週やってきた米国人はそのまま仮契約して帰っていった」と聞かされました。中国では似たような話をよく耳にしました。日本からの視察なので時間がかかっても仕方がないかなと思ったものの「このままの日本じゃマズいかも」とも感じました。自社の社員を含め自分で結論を出せる人が少なくなっている。これでは事業の発展も見込めないと思ったのです。原因を考えて行きついた答えが「幼児教育」でした。
木暮 キャラクターグッズでは香港にも進出されていますね。
野田 大失敗しました。当時、キャラクターをテーマにしたレストランが国内で成功したのを受け、現地の有力投資家にも加わってもらってジャパニーズ・バッフェレストラン3店舗を一挙に出しました。当初は大盛況だったのですが、SARS(重症急性呼吸器症候群)で徐々に客足が減少し繁華街も閑散となる中、引き揚げを決めました。
木暮 勇気のいる決断ですね。
野田 その後、やりたかった幼児教育を会社に在籍しながら構想を1人で練り始めました。香港に残っていてはできなかったでしょうね。「いま手を打たなくては」という、子どもたちの未来を考えました。シュタイナーの教育メソッドによると「ゼロ~7歳までの乳幼児や未就学児の経験がその子の将来を決める」という考えがあり、根底には子どもたちのスキルを上げることを重視する。先生は教えずツールを提供するにとどまり、生徒に自分で考えさせて結論が間違ってもいい。まさに主体的に学ぶ「アクティブラーニング」です。米国もそうですね。中国・無錫を訪れた米国人も事前に調べていたから仮契約できたのでしょうね。アクティブラーニングをやっていない日本人との差です。ところで、人類が生き延びるために必要なものを3つ挙げてもらえますか。
木暮 水と食べ物、それから…火?
野田 はい、エネルギーですね。日本は自力で賄えるものが少ない。40%とされる食料自給率や70億人以上の世界人口、中国の発展などを考えると今後は大変なことになると思います。
木暮 世界はつながっていますしね。
野田 言われたことしかできない、ということは「発想がない」とも言えます。
木暮 日本では特に「個人プレー」は控えるように育てられている側面もありますね。
野田 もう「待ったなし」です。今の子たちが大人になった頃の、その子どもが、しっかりと生きていける未来です。アクティブラーニングを導入している学校は全体の3%程度だそうです。公立小もどんどん取り入れようとしています。暗記教育を受けた親世代と子どものギャップが出てくるはずです。
野田さんが手掛ける施設「PLAY! PARK」で遊ぶ子どもたち
木暮 父親として自分の未熟さを感じてきました。受験をめぐっては夫婦で口論したり、息子ともギクシャクして難しい時期でした。ここまで何度も出てきた「これじゃいかん」という危機感はどこで育まれたのでしょうか。
野田 違和感は昔からあったようです。幼稚園も「みんなと同じ」が嫌だったらしく、お菓子を食べたらすぐに帰ってきたそうですから。
木暮 幼児教育がゼロ~7歳で決まっているというのは新鮮な驚きです。
野田 自分を目覚めさせないと。勉強嫌いだったけれど、好きなことが自分の中にしっかりあることが大事ですね。教育の話をしていると関係している人たちとつながる。世界中がつながっていく時代。どこへ行っても教育がしっかりしていれば。近く米国の絵本作家のエリック・カールをテーマにしたプレイグラウンドを作ります。キャラクターの立体像を見るだけではなく、作家の思いを表現する場所にします。契約書を見せてもらったら「野田をキーパーソンにする」という項目が入っていました。英語はあまり話せませんが、こちらの思いが伝わることが大事ですね。そこから信頼関係ができますし。
東京都立川市にあるPLAY! PARKが入る複合文化施設「PLAY!」
木暮 言葉が全てではないですよね。外国のプロジェクトでも何を伝えているかが大切。そこを見られています。
野田 外国人たちと話すと自分の「その人の本質」を探られているように感じることがあります。信頼関係を作るときに人間力はとても重要です。そして、人に興味を持って人と接する。なので、小さい頃からいろいろな経験をしてもらいたいですね。(おわり)
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